コンテクストとダイアログ

写真はdungodungさんのFlickerからお借りしています。http://www.flickr.com/photos/dungodung/

さて。みなさんは、洗面器というと何を思い浮かべますか?僕は毎朝、ウェットシェービングでひげをそっていて、洗面器を使いますから、洗面器は大事なものです。お風呂をすぐに思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうね。温泉などにおいてある、ケロリンの洗面器も有名ですよね。

そもそも、「洗面器」とgoogleで画像検索してみると、こんな感じです。僕が思っていたのは真鍮や、ブリキや、樹脂でできた、携帯できるものをイメージしていましたが、「洗面器」というカテゴリの中には、洗面所に固定されている、いわゆる「洗面台」も含まれるようです。というか、むしろそちらが先に来てますね。湯桶のほうがニュアンスにちかいのかもしれませんね。

「洗面器がね」と話していているときに、もしかすると相手は、違うものをイメージしているかもしれません。これは、言語の抽象化と大きく関係がありそうです。

晴れた空の色を「青」ということ。指先を切った時に流れる血の色を「赤」ということ。そう決めてしまうのが言語というものです。言語と現象や物質には実は関係がありません。これは、言語のひとつの特質です。青を赤といっていても、何ら問題はなかったはずです。

僕は、「洗面器」という言葉を聞いたり考えたりすると、ほとんど反射的に思い出す話があります。それは、作家の開高健がベトナム戦争を取材して、書いていた話です。これを書くにあたって、原典を確認していませんので、記憶に頼って書いていますので、ご了承ください。

軍に従軍しているベトナムの人たちは、洗面器一つで生活している。洗面器でもちろん顔も洗うし、それで煮炊きもする。あるいは、その洗面器に砂をはって、そこに各々飼っているコオロギをいれて、戦わせて、それに賭けて楽しむ。生活の多くの面において洗面器を使っている。。。

というような話でした。なぜ、これをよく思い出すかというと、僕の洗面器は時に、金魚の水槽の水替えにも使われるからです(笑)

ここで「洗面器」あるいは、「washbowl」というものに対するコンテクスト(文脈)は、いかに多様か、ということです。毎朝ひげをそる生活必需品である。金魚の水を替えるのに必要である。生活のすべてである。

時に言語は万能で、言語ですべてのことが伝わる、と考えてしまいがちです。しかし、感情や思索が言語になるためには、いったん抽象化のフィルターを通り、出力されたものが相手に伝わり、相手のフィルターでふたたび具象化されるため、相手と自分のフィルターが同じものでない以上、100%の意味が伝わるのは難しいと考えないといけないのだと思います。なんとなく、ファクスをイメージしてしまいました。ファクスの機械で書類はいったん電気信号に変換されて、先方に送られそこで紙に印字されますが、紙は同じものではない、ということです。

抽象化、具象化のフィルターは、各自の生活、経験や学習などによって、全員が異なります。ここに、一つの言葉に込められたコンテクストの違いが出るのだと思います。

コンテクストが違う、普段の生活、経験や学習過程が違う人同士が話している、という認識のもとに、そのコンテクストを理解しようとお互いが努めること。それが、「対話=ダイアログ」なのだと思います。

 

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