12人の怒れる男

十二人の怒れる男 出演 ヘンリー・フォンダ、マーティン・バルサム、リー・J・コップ、 エド・ベグリー 

なんと、DVDが¥980だったので、買い求めて改めて、見てみました。この時代の映画っていうのは、今に比べると非常に演劇的ですね。特にこの作品は、舞台が陪審の審理をする部屋とトイレと、法廷くらいしかなく、90%が陪審の部屋なので、なおさらそう思うのかもしれません。
12名全員が映るカットでの、役者全員の演技がすごい。冒頭で、陪審員全員が入室してくるロングカットがあるんですが、それがすごい。どこまで台本に書いてあるのか気になるところです。
あらすじは皆さんご存知のことと思うので、ほんの少しだけ。ある殺人事件について、12名の陪審員が審理をする訳ですが、一番最初の評決では、11:1で有罪が圧倒的多数。しかし、陪審は12名全員一致を建前とするので、その1名だけのために、話し合いが始まります。話はそれますが、陪審員が12名っていうのは、どうしてなんでしょうね。12使徒とかに関係があるのかな。。。
あと、陪審員全員が白人の男性です。無作為に抽出したのなら、そうはならないはずなので(最低、半分は女性のはず)、時代を感じます。公民権法が1964年ですから、そういう時代ですね。ちなみに、この映画公開の1957年の前年1956年には、有名なローザ・パークスさんの事件で、最高裁がバス車内における人種分離(=白人専用及び優先座席)」を違憲とする判決をだしています。でも、実情はまだこうだった、ってことですね。
話は戻って、その一人、ヘンリー・フォンダ演じる、陪審番号8番の男は他の陪審員の罵りまじりの「お前は本当に無罪だと思うのか」という質問に対して答えます。
「わかりません。だから、話し合いたいんです。」
すばらしい。この映画はぜひ、Mブリッジ「ダイアログチーム」の課題DVDにしたいと思います(笑)
話し合いが進むにつれて、意見を変える陪審員が増えて行き、最後には1:11で無罪に傾いて行きます。ヘンリー・フォンダ演じる主人公はこう言います。
「どんな場合でも、個人的偏見抜きで物事を考えるのは容易ではない。偏見という眼鏡は真実を見えなくしてしまう。」
まさに、これはダイアログに向かう姿勢を表しています。あらゆる偏見、思い込み、想定を排除して対話に向かう姿勢こそが、大切だと考えています。その中には、自分の意見が正しい、という思い込みさえも含まれます。
あらゆる知識は実は他人からの受け売りであり、自分の知識や意見に固執することは実はナンセンスです。この映画の登場人物の台詞でもありましたが、
「はじめは有罪だと言ったのに、意見を変えるのか!」
あらゆる想定を棄てて対話をすると、自分の考えが正しくなさそうだ、と思う時もあります。その場合には、自分の意見を変えても良い。自分の意見すら、他人の意見と同じように客観視する。

ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ デヴィッド・ボーム、 金井真弓


この本の著者である、ボームは「自分の意見を洗濯物のように見る」と表現していますが、他人の意見と自分の意見をあたかも、等しく風にゆれる洗濯物のように客観視する、という姿勢が対話には必要だ、と述べています。

いずれにしても、この映画にはファシリテーションに関するいろんな論点が詰まっています。この映画を見てから、みんなで対話をするのは非常に面白いように思います。こんど、Mブリッジ「ダイアログメンバー」で内部研修としてやってみたいと思いました。

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