携帯電話とコミュニケーション

この画像はいろんなところからデータを引っ張ってきて、一つのグラフにまとめたものです。少し興味深いので見てみてください。ただし、完全に全て真実ですよ、と保証するものではありません。もちろん、かなりの確信を持って集めたデータではありますが(笑)ほぼ事実としておきましょう。

このグラフ内、赤の線は「短大四大進学率」、紫の線は「巨人戦のテレビ視聴率」、ブルーの線は「日経平均」、グリーンの線は「Facebookユーザーの数」です。データが軸の数より多いので、一部はイメージというか、軸とリンクさせるために換算をしています。が、一応バイアスはかけていないつもりです。軸に依っていなくても刻みにはゆがみはなく、均等です。
そして、棒グラフのブルーが「携帯電話契約台数です」。

黄色で網かけしているのが、左から現在45歳の方の大学時代(18〜22歳)、真ん中が現在30歳、そして一番右が今年の新卒の方の大学時代です。池山は今年40歳なので、45と30歳の間ですね。

これを見ていて面白いのは、まず携帯電話は今の45歳の方の学生時代にはまずあり得ません。もちろん、あったのはありましたけど、ものすごい値段でしたし、地方ではエリア外だったと思います。反対に、今年新卒の人はほぼ100%の人が携帯電話を持っている時代に大学時代を過ごしています。

携帯電話の普及というのは、非常に象徴的な出来事で、現在42〜3歳の方が生まれた1970年の大阪万博では、「今にみんな一人に一台ずつの電話を持つようになりますよ」と言われたそうです。このことは、少し考えてみると、会社や家、家族や、組織にあった電話が「個人」につながったと言えると思います。

これには、どういう意味があるのでしょうか。家族等の組織と組織をつなぐ「電話回線
」を間借りしていた「個人」が組織から独立してリアルタイムに、「今ここにいない人」とコミュニケーションを取ることが可能になった、と考えることができます。

そのことにより、例えば男子高校生が気になる女の子のところに電話をするのに「いません!がちゃん」とお父さんに切られてしまうことはなくなった訳ですね(笑)。これは実は冗談ではなく、迂回性の高い手段が生まれたと考えられます。

池山は、コミュニケーションは「困難なところから、簡単なところへ流れる」という性質を持っていると思います。話の合わない会社の人と一緒にいる時間だけを我慢していれば、休憩時間になれば携帯電話でいくらでもメールをすることが出来るのですから。

固い岩盤にあたった植物の根が、迂回するルートを探すように、簡単なコミュニケーション手段、相手を求めればいいのです。これは、地域コミュニティにも言えると思います。嫌々でも我慢して行っていた地域の行事がなくなれば、それは行かなくてよくて助かりますが、そこに得るべき人間の関係性や、社会の持つ重層性が失われていくのです。

ワークショップでは人と人との関係を考えますが、誰でも初対面の時には話しにくいものです。だから、その場で話しやすいようにゲームや自己紹介を交えてその場を解きほぐして行きます。

最初の初対面のぎこちない固さを通り過ぎないと、その後の打ち解けた空気は生まれません。あえて困難な初対面の人間関係に入って行くこと。それが絶対的な第1歩だと思います。

ワークショップの参加者さんというのは、その一番大切な「第1歩」を踏み出して、その場に参加しておられるので、そのことに大きな敬意を払うようにしたいと思っています。

もう一つ、これは決して否定的な意味ではないのですが、ワークショップ等に自主的にご参加いただいている方を人の平均的なコミュニケーション能力だと考えてしまいがちなところが、われわれにはありますが、実はそうではありません。

今述べたような大きなハードルを越えた方だけが、自主的にワークショップにいらしていますから、それを超えようと思わない、または超えることが難しい、方もたくさんいらっしゃいます。

時折、地域の中に入って行うワークショップ等では、好き好んでその場に座っている、という方ばかりではない場合もあります。その方へのコミュニケーション上の配慮も必要だと思っています。

2 thoughts on “携帯電話とコミュニケーション

  1. いたいです。
    考えあうには興味深い話題ですね。
    前半のコミュの迂回性について、調子にのってトピックを広げると、非リアルなコミュというのをどう捉えましょうか。携帯がリアルなコミュに与えた影響も事実だけど、そもそも僕らは日常的に非リアルなコミュもはかっていますよね。超越的な存在とのコミュはわかりやすすぎるかもしれませんが、夢とか、思い・思いあうみたいな関係性とか、非言語的なコミュもありますもんね。「江戸しぐさ」にもこの一面は内在されていると思います。
    後半の地域コミュのトピックも、「めんどくささ」と「つながりの重視」というアンビバレントな関係性ももう少し率直に考えるのも面白いかもしれません。「だってめんどくさいんだもん!」を大事に考えてみるとかね。
    その上でワークショップという学びの魅力と限界を見てみるのもありかと。
    思い付いたコメントでごめんなさい\(__

    • >いたい先生
      コメントありがとうございます!
      まず、コメントしやすいので後半の「だってめんどうくさいんだもん」という部分から(笑)
      これは、おっしゃる通りですね。実は僕も面倒くさい派です。これは、ロジックと感情の対立にも似ているように思います。たとえば、ロジックや数値では危険はないけど、「やっぱり怖い」という議論ですね。
      「だって面倒くさい」ということを黙殺することがあってはいけないですよね。「やっぱり怖い」も一つの意見です。お互いが、「納得しないけど、あなたのいうこともわかる」となるといいのでしょうね。

      話はそれますが、先日テレビで芸能人の人がバンジージャンプにしり込みするやつをやっていて、そこで「あんなロープつながってるんだから、大丈夫だよ、早く飛べばいいのに」って思っている自分がいて、これも似てますね(笑)そら怖いわ、って(笑)

      それから、非言語的なコミュニケーションについて。これは、大胆に言っちゃうと(笑)「そんなの分かり合えないよね」、っていうのが僕のスタートです(笑)

      悲観論ではなく、「分かり合えないから、どうやれば少しでも分かり合えるだろうか」というスタンスです。

      ただし、多くの経験を同じくしたりすることによって、分かり合えるケースもあるとは思います。たとえば、家族、同じクラブ活動とか。
      ちょっと、論旨からずれた気もしますが、そんな感じですね。

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